かつては高田城と呼ばれ、鎌倉幕府の御家人・三浦氏の一族が当地に築いたものと思われる。三浦氏はその後も高田城に拠り勢力を維持するが、近隣の戦国大名・尼子氏、毛利氏、宇喜多氏、三村氏らに挟まれ、没落と再興を繰り返した。
天正4年(1576)には毛利氏の攻撃により落城し、三浦氏は当地を完全に追われた。のちに宇喜多氏の勢力下に入るが、関ヶ原合戦で宇喜多氏が没落すると、岡山城の小早川秀秋、次いで美作一国の太守・森忠政の支城となった。
その森氏も元禄10年(1697)に改易され、天領を経て明和元年(1764)年に三浦明次が勝山藩主に任じられた。この時、城名を勝山城と改めた。またこの三浦氏は、かつて高田城主であった三浦氏とは別系統である。三浦氏は廃藩置県まで勝山藩主を務めた。
かつては高田城と呼ばれ三浦氏が当地に築いたものと思われる。三浦氏は高田城に拠るが、近隣の戦国大名に挟まれ没落と再興を繰り返した。その後、毛利氏、宇喜多氏、小早川氏、森氏が支配したのち、元禄10年に三浦明次が勝山藩主に任じられた。
(2011/1/10 作成)