備中の戦国大名・三村氏が築いたのが城の始まりである。三村氏は毛利氏と同盟して宇喜多氏と戦ったが劣勢となり、さらに毛利氏と手切れしたため1574年に毛利氏に滅ぼされた。これにより庭瀬城は毛利氏の支配下に入るが、本能寺の変の際の羽柴秀吉と毛利氏の和睦条件により、秀吉と同盟関係にある宇喜多氏が支配した。
宇喜多氏が関ヶ原合戦に敗北し没落すると、元宇喜多氏の家臣で宇喜多騒動により徳川家康の配下となっていた戸川達安が当地に封じられ、庭瀬藩を立派した。戸川氏は延宝7年(1679)に四代で改易となり、その後は久世氏、松平氏を経て板倉氏が藩主となり、幕末へ至った。
備中の戦国大名・三村氏が築いたのが城の始まり。のちに毛利氏、宇喜多氏が支配したが、宇喜多氏が関ヶ原合戦に敗北し没落すると、元宇喜多氏の家臣で宇喜多騒動により徳川家康の配下となっていた戸川達安が当地に封じられ、庭瀬藩を立派した。
(2011/5/1 作成)