梶谷城は当地の水軍を束ねた松浦党の城で、築城されたのは平安時代と言われる。以降松浦党の拠点として戦国時代まで使われた。
城は玄界灘から繋がる伊万里湾沿いの山上に位置し、眼下には湾内の様子が手に取るように見える。また石垣が多用され、天守台も備える。石垣づくりになったのは、豊臣秀吉による文禄の役の頃と考えられ、梶谷城の位置する場所が本土から壱岐・対馬を経て朝鮮半島へ渡るために重要であったことが伺える。
当地の水軍を束ねた松浦党の城で、築城されたのは平安時代と言われる。以降松浦党の拠点として戦国時代まで使われた。城は玄界灘から繋がる伊万里湾沿いの山上に位置し、眼下には湾内の様子が手に取るように見える。豊臣秀吉の命により、石垣を多用した改修が行われ、天守台も備える。
(2016/2/26 作成)