名護屋城 | 日本の城写真集

名護屋城 | 日本の城写真集

名護屋城

肥前国佐賀県 / 収録写真枚数:129枚

全国制覇した豊臣秀吉が、朝鮮半島・中国大陸の侵略を目論み、その拠点とするために築いた城。縄張は豊前国に封じられていた黒田官兵衛が担当し、城が完成したのは文禄元年(1592)であった。佐賀県の玄界灘沿いに位置し、ここから船で朝鮮半島へ渡るためには格好な地であった。名護屋城の周辺には、全国の諸大名の陣が築かれ、都のように栄えたと言う。秀吉もこの城に滞在し督戦に当たった。
慶長3年(1598)に秀吉が死去すると侵略は中止され、名護屋城も無用の長物となり廃城された。また慶長7年(1602)の唐津城築城の際には部材が運ばれ、さらに島原の乱が起こると、同じような乱が再び起こらないよう徹底的に破城された。現在でも石垣がV字に破壊されている箇所が多数残る。

日本百名城。全国制覇した豊臣秀吉が、朝鮮半島・中国大陸の侵略を目論み、その拠点とするために築いた城。周辺には全国の諸大名の陣が築かれた。慶長3年に秀吉が死去すると廃城された。島原の乱が起こると、同じような乱が再び起こらないよう徹底的に破城された。実際、石垣がV字に破壊されている箇所が多数ある。

(2008/6/14 作成、2016/1/5 更新)

名護屋城の写真撮影スポット

当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。名護屋城の人気の撮影スポットをご紹介します。

名護屋城付近の地図

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