永禄2年(1559)に備中の戦国大名・三村氏が築いたのが城の始まりである。三村氏の滅亡後は当地は宇喜多氏の支配下にはいるが、この時いったん廃城された。
その後江戸時代の延宝7年(1679)に庭瀬藩藩主・戸川安風が改易された際、安風の弟・達冨が家名存続のため幕府から5000石を与えられ、庭瀬城から至近の当地に撫川城(陣屋)を築いた。
江戸時代の延宝7年(1679)に庭瀬藩藩主・戸川安風が改易された際、安風の弟・達冨が家名存続のため幕府から5000石を与えられ、庭瀬城から至近の当地に撫川城(陣屋)を築いた。
(2011/5/1 作成)