岸岳城は上松浦党の棟梁であった波多氏の居城で、築城は南北朝時代と伝わる。波多氏は現在の唐津付近を拠点に勢力をふるったが、第17代・波多親(はた・ちかし)の時に豊臣秀吉に従属した。当地は壱岐・対馬を経由し朝鮮へ渡るための起点であったため、秀吉によって城が石垣造りに改修されたようである。しかし波多氏は程なくして秀吉よって改易され、後には寺沢広高が入ったが、この時に廃城になったと思われる。
上松浦党の棟梁であった波多氏の居城。築城は南北朝時代と伝わる。波多氏は現在の唐津付近を拠点に勢力をふるったが、第17代・波多親(はた・ちかし)の時に豊臣秀吉に従属した。当地は壱岐・対馬を経由し朝鮮へ渡るための起点であったため、秀吉によって城が石垣造りに改修されたようである。
(2016/2/28 作成)